こんにちは、PAPAZAMEです。
もうすぐ車検の時期が近づいています。
セミリタイア界隈では、住居、保険、通信費に加えて、車は、金食い虫と嫌われる代物だそうです。
私の意見ですか?はい、その点、完全に同意です。
車体がまず、ものすごく高いじゃないですか。中古でも100万200万したり。いや、物にもよるのですが、ファミリーカーなんかだと、もう少ししますかね。それに加えて、ガソリン代、保険と、本当に車はお金がかかります。ガソリンも最近は高いですねー。
では、なぜ、私は車に乗っているのでしょう?それは、住んでいる地域と、あとは家庭の要因ですかね。住んでいる地域、電車はゼロでは無いんですが、家が駅に近くないし、スーパーなど日常生活をするには、どうしても車が必要なんです。都会の皆様にはピンとこないかもしれませんが、この日本にはまだまだ、一家に一台、いやいや、一人一台ないと生活できないヨッという場所が、たくさん存在しています。
それでも、一人暮らしで、時間もたっぷりあるような生活であれば、電車と自転車を組み合わせて行動できるのですが、家庭があると、なかなかそうもいかないです。
ただ、私、びっくりするぐらい運転が下手なんですよね。学生の頃、友人の引っ越しを手伝うために皆でレンタカーを借りて、速攻で縁石に突っ込みました。ボランティアで手伝って、レンタカーの支払いで7万円払うという、とんでもない逆アルバイトでしたね。特に駐車が苦手です。
なんていうのでしょうか、「空間把握能力の欠如」とでも言うんでしょうか。皆さんが当たり前に持っている、駐車能力が、まるでない気がします。車を購入した時は、心配だったので、「久しぶりに運転するペーパードライバー向け、プチ家庭教師」的なサービスを、有料で頼みましたよ。その先生が、「あぁ、駐車はね、このくらいのところで、こうハンドル切って戻したら、勝手に入りますよ」って教えてくれたんですが、それを呪文のように唱えています。それなのに、先生のように一発じゃあ入りません。おかしい。。
そんな能力欠如の私ですから、お店の駐車場に着くと、真っ先に車が止まってない店の入り口から遠いところに直行します。そして、左右のどちらにも車もいないことを確かめて、停めます。
お店によっては、駐車場が、1階2階とあるタイプもありますよね?皆さんが、入り口近くの1階に停めようと迂回しているところ、私はまっすぐ2階の1番奥のスペースを狙って行きます。こうやって、地球は、うまく回っているんですね。今日あなたが停めた1階のスペースは、私が2階に行ったことで、空いた空間かもしれません。感謝は不要です。
そんな苦手な車で、つい先日、久しぶりに会った友人とモーニングを食べに行きました。
モーニングって皆さんわかりますかね?有名なのは、コメダ珈琲でしょうか。
トーストに卵にコーヒーに、そんなコーヒーショップで提供される、安い朝食です。落ち着いた空間で、朝から優雅な時間を過ごせる、そんな素晴らしいのがモーニングです。昔から喫茶店やコーヒーショップの空間もコーヒーも大好きで、そこで本を読んだり話したりしているだけで、幸せを感じます。
で、その友人は、ドカタ系の仕事をしているナイスガイなんですが、半年ほど遠方の現場に行っていて、久しぶりに会いました。彼は、スポーツを見るのもするのも好きで、さらに最近は登山にハマっているそうで、日帰りで行けるような山は大体登ったそうです。今はもっと高い遠方の山や、研修を受けて雪山にも挑戦中とのこと。すごい。
そんな、私から見ると、充実の塊みたいな彼が、将来について悩んでいるとの事。 仕事は自営なのですが、このまま続けていくか、他の仕事をやるか、だんだんと自分のやりたいことがわからなくなってきたとのこと。
それを聞いて、私は、「ほ〜、こんなに充実してそうに見える人でも、悩みがあるのか。見える景色は、本人でないとわからないものなんだなぁ」と、考えてしまいました。
良いかどうかわからないですが、過去記事でも紹介したこちらの本を紹介。 少しスッキリはしてくれたようです。
私の経験ですが、結構、人は、「まだ起きていない未来のこと」について悩みます。とうか、考えすぎるんですね。そして不安になります。私もその傾向がありました。
例えば、セミリタイア界隈のブログなんかに触れると、皆さん、たくさんのお金を持っていらっしゃいますし、頭も良くて、 行動力もありそうで、何ならもうセミリタイヤを実現してる人もいて、「みんなすごいなぁ、いいなぁ」っと感じることないですか?見てるこっちは、お金も時間もまだどれも持っていないのになぁ、っと。で、そんな自分と比較して、少し落ち込んだり。私は、昔よくありました。
でも、ある時、気づきました。
将来、いくらあったらこれができる。もし時間があったらあれをしよう。これって、結局、今できない、今やらない、言い訳だったんだなと。
勝手に、自分で、お金があれば、時間があれば、と言うもっともらしい理由をつけて、やらなかっただけだったんだなぁと。
「いやいや、そんなことないよ、実際に私お金がないし、時間がないし」と思う方もいると思います。人によって、状況が違うので、私も断言することはできません。
ただ、今やろうとしないこと、今できると思えないことは、将来もきっとできないと思んです。その「到来しない将来」を思い続けて、その遠い未来の成功を考えながら、現在の苦しさに立ち向かうのは、ずっと長い苦しみが続くような気持ちになると思うんです。
それより、確かに今、お金はない、時間もない、それでも、自分のやりたい事がある。この環境で、どうやったら、これを実現できるか。それは簡単ではないですが、簡単ではないからこそ、すぐに実現できないからこそ、工夫する、考える、その手強いプロセスをひっくるめて楽しむ、そんな自分になりたいと思いました。
私は、自分の家族には、おそらく、たいした財産は残してあげれないと思っています。じゃあ、そんな私が、何を残してあげれるかなぁと思ったときに、そうだ、それは、「根拠のない自信」だなっと思いました。
時間もないけど、お金もないけど、地位も名誉もないけど、でも自分にはやりたいことがあって、絶対これをやりたい。そして、何か私なら、やれる気がする、どうにかなる気がする、やれることからやってよう!そのパッションがあれば、大体のことは、道が拓けてくると信じてます。というか、その状態自体が、充実なのかなと思っています。セミリタイアも、手段であって、ゴールではないってことですね。充実は、結果ではなく、プロセスにあると思っています。
あぁ、あとxx年したら、お金がいくらたまるなぁ、そしたらあれができるなぁ、と夢想するのもいいと思います。私もします、空想は、楽しい時もありますよね笑。
でも、そう考えている、今、この瞬間に、私の夢は何だったかなっと考えて、そこに向かって生きるのも、なかなか味わい深くて、充実感もあって、おすすめですよ。そういう意味で、あんまり、未来のことは、考えない方が、楽しいです。
Thanks