今朝はめっきり寒くなりました。
10月上旬は割と暖かかったですよね?日によっては暑いくらいの。
もしかしたら「まだ半袖着ることあるんじゃないかなーっ」っと思って、衣替えの時に、数枚の半袖を残していたんですよね。
でも、これはもう不要そうです。今日片付けよう。
・・と、朝思っていたのですが、昼はぐんぐん暑くなってきまして、今半袖でこの記事を書いてます。。
こんな地球の隅の海の底にある、私の冒険ブログを読みにこられる稀有な方は日本でも数人いるかどうかと思っておりますが、そんな皆様の地域はいかがでしょう?
さて、私が前回の記事にも書いた通り、大人も中盤戦になって、「そうだよな、やっぱり、お金は必要だけどそれだけじゃ大事なものすっぽり抜けてない?」って思ったきっかけの本たちをいくつか紹介して行きます。
なお、前回記事はこちら
さて、記念すべき1回目の紹介の本はこちら
まず、タイトルに、「ん?」って思いました。
え?お金を減らすの? 増やすんじゃなくて?? っと。
この作者の森 博嗣という方、昔、「すべてがFになる」という推理小説を書いて、それがヒットして有名になりました。私も学生時代に友人が読んでいるのを借りて、ハマった記憶があります。
さて、紹介した本を読んでいくとわかるのですが、この方、元々大学の研究職で働いていて、小説なんてこれっぽっちも興味がなかったそうです。というか、今もないそうです。
では、なぜ書いているのか。それは、夢を叶えるためにお金が必要だったから。
自宅の庭で、自分の鉄道を走らせる、そのために、土地もいるし、高価な材料も要る。で、物を書くのは苦手じゃないなっと思ったそうで、その書いた小説が、たまたま初回から講談社の目に留まって、売れていったそう。すごい才能ですね。印税でお金持ちなんです。今は小説よりも、エッセイを目にすることが多いです。
これだけ聞けば、「なぁんだ、またお金持ちが、お金持ちの目線の高さから、なんか言っている話なんでしょ」っと思うと思います。でも、面白いのは、作者の生き方が、貧乏な頃から全く変わっていないと述べられています。
それが、「必要なもの」はできるだけ我慢して、「好きなこと」にお金を使うこと。
ご自身と奥様で、給与のそれぞれ1割、計2割は、好きに使っていいというルールがあるそうです。そして残ったお金で、必要なものを買う、足りなければ、どれか必要な物を我慢する。好きなことを我慢するんじゃなくて、必要な物を我慢する。
これ、言うのは簡単ですが、実際にお金がないないと思っている状況だと、難しそうに聞こえませんか?。私は最初、そう感じました。
ただ、その根底に流れている作者の哲学は、「お金自体は何も生まない」「何かに交換して、初めてその価値を得る」のだそう。
読者に、「あなたはなんのためにお金が欲しいのでしょう?お金を得ることが、目的化してしまっていないでしょうか?」っと問いかけている気がしました。
お金で何がしたいのかが大切であり、そして、もし本当にしたいことがあるなら、時間やお金がなくても、どうやってそれを実現できるか、それを自然に考えるはず、と。なのに、なぜ世の中の多くの人は、そうしないのかが、不思議だと説いています。
読むと納得、そして読後に、自分はなんのためにお金が必要なのか、そしてそれは「必要なこと」なのか、それとも「本当にやりたいこと」なのか、そんな自分のお金に対する価値観を、ガツンと打ち叩いてくれました。
お金が必要ないとは書かれていません。ただ、あくまでもお金は引換券。目的は、お金を使って得るモノにあります。フェラーリが本当に必要なら是が非でもその金額を稼ぐ努力と知恵を働かせるでしょうし、読書が好きな方は、古本や図書館を利用すれば、お金は全然必要ありません。
読後に、私のしたかったことを、時間をかけてまとめてみました。そして、気づいたのが、「そうか、私自身が思っていたよりもずっと、私のやりたいことって、お金が必要なかったんだな」ということ。どちらかというとまとまった時間が必要なものが多いので、今はその時間を確保するために、うまく休みを調整できる仕事を求めながら、セミリタイアを意識しています。
「いつまでにxx円ためてセミリタイアだッッッ!」と思っていた、未来のために「今」に常に飽いている状態の自分と、さよならすることができました。同時に肩の力もスッと抜けました。そんな夢をめざす、過程の今を、もっと楽しもう。
この本、おすすめです。
Thanks